おもひで     前田 隆一
吾れ四歳の初春、盲目となり。二ヶ月の後眼を開けり。 吾れ今なほ不思議にたえず。此に吾れ印象されてゐるままを歌ひ、郷里に居ます、父と母に送る。

おもひでははかなき四歳の春にきて、つづるはあわれ今のこの歌

ふとしたるものに心の狂ひてや われもうもくとなりし初春

盲目のこのこ悲しと、ひたすらの母に抱かれ来たる眼病院

もうもくのこの子まもりて、ひねもすをひたすら母のありがたきこころ

盲目の吾れ朝餉に向ふとき母の心のまことうれしき

妹のよね子ひたすら盲目の吾れに呼びけり春の飴賣

妹よ、はかなき兄にならべたる、あまたの玩具今もわすれじ

しみじみと春のまひるの温き光りに浴すこの身はかなし

いく日を盲目とすごすかのうちはわが感覚の柱を知れり

麗らかな春のまひるに散るさくら、盲目のわれ悲しかりけり

伯父はただ吾れををこして祭禮の夜更の街路にいでませしなり

伯父の春にひたすらわれは涙して、あたりの音をききにけるかな

澤市にあらねど今宵祭禮のだしの囃子にまなこひらけり

はなやかな提灯のあまた灯をともし家の前をばすぎさる山車あり

ひたすらに母はよろこびおのが子のまなこみやりて言葉だされず

ふとしたる事よりしばし盲目となりてすごせし四歳の春

ありがたき四歳のはるの盲目はしばしがうちの休みなりしか

あのときはわが衰へか盲目のいまだつづけばなんとすべけむ

この歌はすべてはかなき思ひ出かいまもわすれぢ親のひざもと

「ぺんぺん草」第三輯 偶像詩社一九一五年六月